
| ソフトなお話し | ||||
| 神々の詩 | ||||
| アメリカ北西部ネイティブアメリカンの間で伝わる民話です。 その昔、その地方では、毎年秋になると大量の鮭が遡上し、冬に向けての貴重な蛋白源として、その地方の部族の人達の糧となっていました。 その部族の人たちは、鮭は自分の体を捧げる事で人間たちを冬の飢えから守ってくれる神のお使いとして、尊敬し、ご機嫌を損ねないようにしていました。 例えば、その年の鮭の収穫量が少ないと、その1年の部族の人達の行いが悪かったのだと反省していたそうです。 ある日のことです。 一人の少年が鮭の生干しを食べようとしたところ、鮭の表面にカビが生えていました。 カビは表面だけなので、取り除けば、その鮭は食べられるのに、少年は食べたくなくて、川にその鮭を捨てました。 やがて、少年は川のそばを歩いていると足を滑らせて川に落ちてしまいました。 川近くの部族ですから泳ぎは上手い訳ですが、なぜか引きずり込まれるように少年は川底へ沈んでいきました。 気がつくと、周りには多くの鮭たちが少年を囲んでいて、少年に鮭の歴史や鮭社会の掟、祈りについて教えてくれたそうです。 少年は、鮭の社会が気に入って、鮭と一緒に川を遡上する旅をする事になりました。 旅も終わりに近づく頃、大きな滝を上ろうとしていると、少年は網に巻き取られてしまいました。 少年が目を開けると、網で少年を獲ったのは少年の家族でした。 こうやって、無事に自分の故郷に帰った少年は、大人になってから部族の人達に鮭の社会や祈りを伝える語り部となったそうです。 上のお話は単純で、「だから何だ」と言うべき内容かもしれませんが、自然への感謝や畏怖を伝える良い話だなと、記憶に残っています。 以前、磯焼けの浜を復活させる為、山に登り植林する漁師の話を話をしました。 マタギ達も収穫時に山の神にお供えしますよね。 海開き山開きも神事を行いますが、昔は形式上のものではなく、人間と言う弱い生き物を自覚した上で、自然に向き合い、尊敬し畏怖しながら付き合っていってたんでしょうね? 外国では多民族多宗教のハザマで戦争や諍いが絶えませんが、日本も元来、神様のたくさん居た国です。 八百万の神様と言うように古事記にも登場しますが、私が子供の頃には台所の神様や便所の神様とか、たくさん居ました。 道祖神や祠、鳥居も、注意すれば今でもたくさん存在しています。 元々は思うようにならない自然と折り合いをつける為に信仰が始まったのでしょうが、日本人は神様が好きみたいですね。 アロワナが幸運や金運の神様みたいなカンジで受け入れられてまして、私も縁起担ぎのつもりで1匹飼い始めたのが、ことの始まりなのですが、金運は良くなるどころかアロ借金が増えるだけで、この不景気と相まって一向に改善の兆しも有りません。 でも、今年1年を振り返り、こうやってアロワナを通じて数多くの皆さんと巡り合う事が出来た事は私にとって、最高の幸福と言えますから、やはり幸運の神様と言えるのかな? 一説によると、幸運や金運の龍魚伝説は、ここ20年くらいで俄かに出来上がった話であり、龍魚と言う呼び方も、昔からではないとも聞いた事がありますが、そんなことはどうでも良い事だと思います。 たしかに、悠然と泳ぐ姿や、何か悟ったかのような眼差しや仕草には不思議な雰囲気を感じます。 実を言うと、アロちゃんを大型水槽に移動する際に袋詰めして、架台を設置しようとしたときに足の指を架台で潰して全治4ヶ月でしたし(実は山龍会・Kさんも水槽移設で脚に怪我を・・・)、アロちゃんが嫁入りしてから、立て続けに事故られたり事故ったりと身の回りがバタバタしました。(幸い、何れも大事に至らず) 先日、1ヶ月ぶりに副会長宅を訪れたとき、アロちゃんは興奮してコチラを見ながら激しく泳いでいましたが、これまた不思議な気持ちになってしまいました。 日本で龍魚が好まれるのも、魚としての魅力も然ることながら、神様好きな血が、そうさせるのかも知れません。 鰯の頭も信心とも言いますものね。 カメの餌を貰いにスーパーとかに行くと、ウソのような綺麗な野菜が少し変色しているからといってはバンバン捨てられていってます。 昔の自然神を崇めながら食料を確保していた人たちが見たらどう思うのでしょうね? 自然からのしっぺ返しが、今、急に起きたとしても私は不思議とは思いません。 いろいろと身近な神様についてお話したい事は山ほどありますが、とりあえず私は自分の好きな、最も身近な神様、龍魚を来年も可愛がっていこうかな、と年の瀬も押し迫り、ふと思いました。 2001,12,23クリスマス・イブイブ |
||||