
| ソフトなお話し | |||
| 妄想・進化論 | |||
| アロワナ達古代魚を眺めてみると地球の歴史や進化について、いろいろと考えてしまいます。 進化論というと『種の起源』で有名なチャールズ・ダーウィンがすぐに頭に浮びます。 学校の授業でも学びますし、一般常識的な捉え方をされているようですね? ダーウィン進化論では、生物の進化を遺伝子の突然変異と生物の自然淘汰で説明します。 ダーウィン論者は、鳥が空を飛ぶのを次のように説明します。 「四足歩行する動物が、木の枝から飛び降りているうちに、羽根が生えてきて、やがて空を飛んだ。」 もしくは、 「四足動物が、逃げ回っているうちに、前足に羽根がはえてきてやがて、飛んだ。」 つまり、進化の過程で羽が生えた個体たちが生き残り、鳥になったと考えるものです。 突然変異と自然淘汰には、生き物の意思は関係なく、環境要件によるものであるから、羽根のない動物が飛びたいと思ったか思わなかったかは、進化とは関係ないものと思われています。 しかし、ダーウィンの進化論があまりにも有名な中で、異説もたくさん登場しています。 例えば、ダーウィン説で説明していく場合、陸上動物から飛行動物への中間種の化石が全く発見されていません。(始祖鳥が鳥の祖先ではないと現在は考えられています) また、「神がすべての生物を創造した。」とする考えから、アメリカのいくつかの州では、聖書原理主義の立場から進化論が否定され、教科書で取り上げられない事態となっています。 また、マイケル・J・ベーエは、著書の『ダーウィンのブラックボックス/生命像への新しい挑戦』の中で、生物の生化学的な仕組み、とりわけ細胞内のさまざまな構造の仕組みは、自然選択によって作り出されたものとは考えにくく、何らかの知性によってデザインされたものに違いないと主張し、デザイン論なる興味深い考えを持っています。 その何らかの知性という存在は神と呼ばれる存在であろうと地球外生命体であろうと構わないとするものですが、この考えの矛盾点は、デザイン後の進化の細かい仮定について、常に『何らかの知性』が監視を続けてデザイン修正をしているという論点としては不利な面もあります。ダーウィン説であれば自然選択により、進化は自動修正されるという考えであるため、定義上、進化の最初から現在まで自然選択が連続的に続いていると考えるダーウィン説が有利だと考えれています。 日本でも今西進化論なるものもあります。 しかし、いずれにしてもダーウィン説にしても、もろもろの生化学的要素に対して自然選択がどのように働いてきたかを調べていくと、どの時点でも、そのメカニズムが不明というか、想像ができない要素について、進化論者は「まだ不明である」と述べるしかないわけです。 結局肝心かなめの点は、いまだ判っていないんですね。 と。ここまではまじめな話でして、ここから私の妄想モードに入ります(爆) カンブリアン・ビッグバンと言う言葉をご存知でしょうか? カンブリアの爆発とも言われていますが、地球の歴史を調べていくと地球が誕生してから46億年が経過し、30億年前から単細胞生物、ラン藻などの微生物などが暮す乏しい生物相であった地球は、なぜか先カンブリア紀の終わり(約6億年前)に最初の多細胞生物が突然現れて、カンブリア紀(5億数千億年前)に突如として、今日見られる生物の「門」が一気に出現したとされています。 つまり、46億年前に地球が出来てから、6億年前まで何も変化が無くて、6億年前から一気に多種類の生物に分化していったわけですが、これは地球の歴史を1年間であらわすと11月下旬頃に、急変したと考えられます。 私はデザイン説ではないですが、この急激な種の変化に何かの意図的な力を感じてなりません。 私は子供の頃、初めて買ってもらった本が動物図鑑で、実際ボロボロになるまで読み倒した子供時代を過しましたが、熱帯魚を飼育していても不思議に思うことが多々あります。 リーフフィッシュ。 枯葉に擬態しますが、あまりに枯葉に似過ぎています。マタマタやミツヅノコノハガエルなども擬態というには完璧なほどです。 海水魚を飼育していますとクリーナーラスと言う魚の存在を知りますが、ホンソメワケベラはクエなどの大型魚の体表や口の中の寄生虫を食べてくれる魚のお医者さんとしても有名ですが、見た目がそっくりなニセクロスジギンポは、ホンソメワケベラのふりをして魚に近づいて、体表を食べるという詐欺師みたいな行動をします。 昆虫などは最たるものでヨナグニサンと言う蛾は羽の模様が蛇の顔にそっくりとか、蛇の目玉の模様の蛾の幼虫も居ますし、樹皮にそっくりな蛾の模様。ナナフシのスタイルや動きなどは見事と言うほど小枝に擬態していますよね? ハナカマキリなど芸術といえるほどランの花そっくりですし・・・。 何が言いたいかというと、現存している動物たちの中には偶然といっては出来すぎなほどの特徴を持っている生物が多すぎるということです。 良く子供電話相談室で、物知り風なオヂサンが子供たちの質問を受けるコーナーがありますが、電話口の子供達に『●●なんだよ? 判った?』と、絶対に子供では理解出来そうも無い回答をして、言葉の裏に「これ以上聞くなよ」的な大人の怖さを滲ませて、子供たちが『は、はい、ワカリマシタ』などというやり取りを聞いてると噴き出しそうになりますが、良くある質問で『キリンの首は、なぜ長いの』ってありますが、ダーウィン風に言えば、首の長い種が高い木の枝の餌を確保できて、遠くの敵を見つけて逃げられたので自然淘汰の中で逃げられたと説明されるのですが、私など、逆に、俺だけ大きくて目立ち、水を飲むにも不器用な生物が、自然淘汰で生き延びたとは、素直に信じられないのです。 私は、こう考えます。 『キリンは、自分で首を長くしたかったのだ』と。 そんな思考が出来る知能があるかどうかは別として、本能的に、そう願ったのではないかと。 私は特別な宗教をしているわけでは有りませんが、人間も、いろいろなことを『祈り』ます。 ただ、その祈りは人それぞれで、バラバラなのでしょうが、昆虫などのシンプルで素朴な『本能』は、種全体で『こう変化したい』と言う念を、それこそシンプルに祈りつづけた結果、現在の望む形に進化したのではないかと思ってしまいます。 人間も、『空を飛びたい』と真剣にシンプルに祈り願うことが出来れば、ある日突然、空が飛べるのかもしれませんが、悲しいかな、知能と理性が『そんな馬鹿な話無いよな?』と祈りにブレーキを掛けてしまい、空が飛べないのではないか? そして人間の場合は、『空を飛びたい』と言う祈りを『飛行機』と言う形で叶えてしまったので、自力で飛べることは無いのだろうなとも思ってしまいます。 カンブリア紀の太古に、ナメック星人がやって来て、『ハーイ♪ みなさーん、今からドラゴンボールをバラ撒くから、好きな願いを言ってねーっ!!』的に、人知を超えた存在が地球を見守りつづけていて、動物たちは思い思いに自分のなりたい希望に進化していったのではないかと荒唐無稽に思ったりもします。(と言うか、学のない私には、そう考えた方が楽しい。) 古代魚たちは、デボン紀やジュラ紀の頃に『ナメック星人さん、僕たちは今のスタイルが気に入ってるので、このままで良いです』と進化にストップを掛けた頑固者かもしれませんね? アジアアロワナ達の龍魚は、太古の昔、天空を滑空する龍を、水中から眺めて『私たちを龍にしてください』と祈ったのかもしれません。自分たちの体が龍に変身していく過程で『あっ!今のままがカッコいいかも? 僕たち水の世界で龍になりますわ♪』と今のスタイルに満足しているのかも? 私の水槽でも、遠い昔に龍への変身を願った末裔たちが、自分のお気に入りのスタイルを人間たちに誇示したくて「フーン♪ フーン♪」って、鰭を広げて、わざと怖い顔つきで、わざと余裕ぶった泳ぎを見せ付けてくれます(笑) あ。ちっちゃいくせに『ボクも龍になりまちゅ〜』って変身を遂げたパントドンも顔だけは立派に龍魚ですね(爆) 春うらら。午睡の中で、こんな妄想に駆られながら、きらり庵のソファーに寝そべって龍魚たちを見るのもオツなもんです♪(^-^) 2004,4,19 ※文中の判らない種名や用語は別途、検索してください。 ※あくまでも、龍魚を想像しながらの私の根拠の無い妄想なので、まじめに進化論について反論を述べることはご遠慮くださいね(爆) |
|||