ソフトなお話し
AVについて考えてみた。
先日、面白いと言うか、興味を引いたニュースをネットで見ました。

(2006,4,27)
ロイター通信によると、ローマにて生きたロブスターを氷の上に載せて、客の前でディスプレーしていたイタリア北東部のビチェンツァにあるレストランに動物虐待禁止条例に違反しているとして、688ユーロ(約9万8500円)の罰金を科す判決が下されました。

イタリアは世界の中でも最も厳しい動物愛護法が制定されている国で、昨年10月ローマ市では金魚鉢による魚の飼育は虐待にあたるとして金魚鉢禁止条例を施行。またトリノ市では1日3回以上の犬の散歩を怠った飼い主に対し、500ユーロ(約7万円)の罰金を科す条例を制定しています。

(ヤフー・ニュースより引用させて頂きました。)

これを読むにつけ、『虐待』について少し考えてみます。
最近は、DVと称して、ドメスティック・バイオレンスと言う言葉が良く使われ、家庭内暴力などと訳されてますので、とりあえずアクアリウム・バイオレンス=AVと言う造語で考えてみましょう(笑)
決して、アダルト・ビデオについてお話をしたいわけではありません。(したらしたで、カテゴリーが1つ追加されるほど語れたりしますが・爆)

上のローマでの金魚鉢の金魚飼育など、日本では昔から、金魚飼育と言えば、金魚鉢と言う風にイメージは定着しており、金魚鉢飼育においてAVと言うイメージを持たれる人はそんなに居ないのではないかと思います。
もちろん、本格的にランチュウなどの金魚飼育まで趣味が高じた人にとって、金魚鉢において金魚を飼育することが大変高度な飼育レベルを要し、本来、金魚を上手に飼育したいのであれば、1坪程度のタタキ池を作って飼育するのがランチュウ飼育の王道であり、むしろ、金魚鉢で金魚を飼育する人はAVを考えるに至るまでに何らかのトラブルで金魚を殺してしまい、一方的に消費してしまっているのが実情であると言えます。

とは言え。弥富。大和郡山。江戸川の金魚の国内産大産地の金魚業者の生計を成り立たせているのは、なんだかんだと言っても、金魚鉢で金魚を飼育するビギナーであることは想像に難くないかと思います。

アジアアロワナにしても、然りです。
アジアアロワナは輸入が解禁されて10余年、今や年間2万匹の養殖個体が輸入されているといわれ、そのうちの約半分の1万匹はグリーンアロワナであるそうですが、実際のところ、アジアアロワナ飼育者が本当に1万人もいるのかと思うと、ちょっと疑問ですし、10年間で少なく見積っても5万匹のグリーンアロワナが輸入されているはずなのですが、なぜか、大きく成長した立派なグリーンにお目にかかることは本当に少ないものです。
その理由については、皆さんのご想像にお任せするとして。

虐待か虐待ではないかを決定付けるボーダーは一体何処にあり、そのボーダーは誰が決めるのでしょうか?

上のローマの判例を考えていくのならば、一頃、国内のホームセンターなどで売られていたコッピーと言う商品名の瓶詰のアカヒレは、ローマでは間違いなく有罪判決が決定しそうですね?
最近は見ませんが、数年前には寿司屋や、割烹料理屋の店頭にイセエビのUFOキャッチャーが設置してあり、度肝を抜きました。

ローマのロブスターを考えると、ロブスターは食用であり、何れ食べられる運命にあるのなら、氷により仮死状態にされ、苦しみながら緩やかに死を迎えることが虐待と言えるのでしたら、日本のイセエビやクルマエビはオカクズと一緒に梱包されクール便で運送されますが、これも虐待と言えるのか?はたまた、白魚の踊食いはどうよ?
……などと、虐待のボーダーについて思いを寄せ、魚を生で食べる習慣のある日本人の食を考えると、活魚=鮮度が良い=美味しいという点から、魚を仮死状態にして輸送したり、生き造りなどは、まさしくローマなら有罪になってしまうのでしょうね?

こんなことをいい出せば、ドーベルマンの断耳、断尾は虐待じゃないの?とか、ブロイラーが狭い籠に入れられて24時間照明を当てられて運動もさせられず卵を産みつづけている現実や、卵から孵ったヒヨコのオスは生後すぐに処分されている現実などなど、もっと残酷かと思われる事だってあります。
犬の飼育は近所や通行人の危険性を考えれば首輪とリードは日本では常識ですが、トリノ市では1日に3回以上の犬の散歩を怠った場合、7万円以上の罰金が科せられる条例が制定されていることを考えると、やはり犬を首輪をつけて鎖に繋いでおくことも虐待に繋がると言う解釈があるのだと少し過激に感じてしまいます。

虐待については、それを見る側の主観と言うのも多分に影響があると思われ、人それぞれ感じ方が違うのではないかと思います。

AVについて考えますと、アクアリストの永遠のテーマとして挙げられる問題が2つあります。
1つは、自然の広大な大河の魚の生活を考えたら、個人趣味の水槽レベルはもとより、水族館レベルにおいても虐待と見る考え方。
もう1つは、肉食魚を飼育する場合、その魚を飼う為に金魚(コアカ)などを与えると言う、1つの命を維持するために他の命を絶つという行為。

何れも、これはアクアリストの性(さが)であり、エゴであるとは思います。
しかし、水槽での熱帯魚飼育を虐待と言うのであれば、そもそも観賞魚と言う趣味は成立ちませんよね?
キャッチ&リリースを謳っていたバス釣だって、魚を釣り針で傷つけ、川に戻して、再び釣り上げる事から、これも虐待と見れば、バス釣そのものが成立たないことでしょう。

肉食魚にコアカを与えると言う話が出ると必ず発展する話は、『じゃあ、オマエは牛や豚を食ったことがないんか?』って話になります。
これは人間様が生きていく上で、他の命を奪うことで生きながらえることから仕方のないことであり、牛や豚は養殖しているから良いのだという意見もありますが、その意見を広げていくと、コアカは金魚業者の売上の80%以上を占め、コアカの用途の大半は餌として与える為に養殖されたものであり、上記の牛や豚と一緒じゃないかと言えますし、ショップで売られているコオロギやワームにも同じことが言えると思います。

しかし、人間が食べるものと、飼育しているペットが食べるものとでは意味が違う。そんな金魚の命を消費するような肉食魚など買わなければ良い。と言う意見も非アクアリストからは当然指摘されるかと思います。

でも、悲しいかな、ここが肉食魚飼育者の業であり性なわけで、肉食魚を飼いたいという欲求はあり、他の命を滅することで自分の愛魚の命を繋いでいることを考えれば、私たち肉食魚飼育者は、餌1匹たりとも粗末にするべきではないですし、ある意味、ゆめゆめ、のほほんと天国にいけるなどとは思わず、年に1回でも餌になった生きものに対して供養するなり、供養する気持を持ってもバチは当らないことだと思います。

このような、非アクアリストから見れば、虐待と思われる一面も肉食魚飼育にはあり、その中で、大型魚飼育の場合は飼育設備や水槽のサイズと言う、もうひとつの『スペース的虐待』の可能性についても自問自答しながら飼育をしていく必要はあるのでしょう。

前述のように、自分の愛魚を育てるにあたり、他の命を滅すると言う業を背負う以上、もう一つのスペース的なAVは飼育者として、何とかクリアしたいものです。

で。話を戻しますが、どこまでがAVであり、どこからがAVではないのかを考えた場合、私なりに一つの規準を考えますと、適性な水槽の広さとしては

1.魚の飼育する上で、魚が奇形を生じたり、ストレスで暴れたり突発的な泳ぎを見せたりしないような水質の維持や水槽のスペースは最低限必要である。

2.魚を飼育していく上で、すくすくと魚が成長し、狭さや水質悪化のストレスから、餌を食べなくなったりしない程度の水質維持や、水槽のスペースが必要である。

3.欲を言えば、その魚種が繁殖が可能であり、言わば魚の本能を全うできる水質維持や水槽スペースを確保できれば理想である。


と、自問自答してみました。
その水質維持の方法や水槽のスペースについては、魚種により違いますし、飼育方法によっても異なってくるかと思いますので、適性な方法や適当なスペースというものは、これまで多くの先輩方が飼育をされて、成功した例を真似すればよいと思いますし、失敗した水槽サイズなどを知っておく必要はあると思います。

上のような、ローマの判決を見て、AVについて肉食魚を飼育するものが、上の矛盾する2つのテーマについて触れることは言わばタブーでもあり、『それを言っちゃあ、おしまいよ』と思われるかもしれませんが、誤解を招くことがあるかもしれませんが、あえて思ったことを文章にしてみました。

上の2つのテーマについて、漠然と何も考えずに飼育していくよりは、この2つのテーマの矛盾を意識しながら、その中でも最善の飼育方法について考えていくことは、肉食魚・大型魚が好きで堪らない私にとって、大切なことと思い、簡単ですが、ちょっとだけ、この問題について触れて見ました。
このテーマに着いて書く事自体が偽善であると言われるかもしれませんが、考えてみるのも悪いことではないかと思います。

2006,4,30